浅山芦国とは、享和元年(1801)から作画をはじめ、文化年間(1804~1818)を中心に大坂で活躍した浮世絵師で、上方浮世絵において「芦国派」とも称される一大流派を築いた人物です。

 芦国が活躍した文化年間といいますと、江戸の浮世絵師、葛飾北斎(1760~1849)が読本(よみほん)の挿絵を精力的に手掛けていた時期と重なります。芦国も同様に、読本や絵入根本(挿絵入りの歌舞伎の脚本)の挿絵を描き、役者の錦絵や劇場絵看板等の肉筆画を次々に発表しました。芦国の読本挿絵は北斎作品から強い影響を受けていることが先行研究で指摘されており、江戸と上方の文化交流を考える上で重要な人物といえます。

 また、芦国の画業においてとりわけ注目したいのが、役者似顔絵です。上方で刊行された浮世絵版画の多くは歌舞伎役者の舞台姿を描いた、いわゆる「役者絵」でしたが、芦国はその中において、役者似顔絵の名手として知られていました。そして、芦国が最も多く描いた歌舞伎役者が三代目中村歌右衛門(俳名 芝翫、1778~1838)です。芦国は三代目歌右衛門の熱烈な贔屓で、歌右衛門を称賛する版本には必ずといってよいほど挿絵を手掛けました。

 ここに紹介します『芦国芝翫帖』(個人蔵、図1)は、三代目歌右衛門がはじめての江戸下り(江戸の地で歌舞伎の舞台を踏むこと)から5年ぶりの大坂へ戻ってきたことを機に制作された画帖です。画帖には歌舞伎小屋の前で、駕籠に乗る三代目歌右衛門に駆け寄る大勢の人々が描かれています(図2)。夥しい人々や提灯の数から、三代目歌右衛門の帰坂を大坂全体で盛り上げんとする当時の熱を帯びた雰囲気がありありと伝わってきます。画面手前には幟旗が大きく描かれ、さながらスナップ写真のような臨場感ある構図となっていますが、おそらくこの場に居合わせたであろう芦国が、その目で見た光景を活写したものと思われます。

 さらに同画帖には、仮名手本忠臣蔵の高師直(吉良上野介)を演じる三代目歌右衛門が描かれています(図3)。塩谷判官(浅野内匠頭)を侮辱する「殿中刃傷の場」を表わしたものと考えられますが、判官が今まさに師直を斬りつけんとする緊張感が漂っています。素早い筆致と淡彩で構成された図ながらも顔の描き込みは丹念で、「浪花似顔画師」と称された芦国らしく、三代目歌右衛門の気迫までも描かんとした写実性の高い人物画となっています。

 芦国は絵師だけでなく、戯作者(戯作とは、洒落本や滑稽本などの通俗小説のこと)や、布屋忠三郎の名前で書肆(書物を出版するいわゆる版元のこと)としても活動し、その多彩な才能を遺憾なく発揮しました。しかし、ますますの活躍が期待されていた文政元年(1818)、芦国は40歳余で人生の幕を下ろします。芦国没後は、弟子の戯画堂芦ゆき(ぎがどう あしゆき、生没年未詳)や寿好堂よし国(じゅこうどう よしくに、生没年未詳)らが上方浮世絵界を牽引しました。(曽田めぐみ)

​(図1)

​(図2)

​(図3)

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